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皆さんは、「いろは歌」をご存知ですよね。 「いろはにほへと・・・」って最後まで言えますよね。 では平家物語の冒頭にもある「諸行無常・・・」を唱えることはできますか? 釈迦牟尼仏が入滅するときに、沙羅双樹の木の下で説いた言葉とされていますが、『諸行無常偈』の中の一説です。 全文は、次のようになっています。(読みも入れました) 諸行無常 (しょぎょうむじょう) 是生滅法 (ぜしょうめっぽう 生滅滅已 (しょうめつめつい) 寂滅爲樂(じゃくめついらく) 意味は、 この世に存在するすべてのものは、同じ状態を保つことなく移り変わっていき、永久不変なものなどない。 生じて滅びるのがこの世のことわりである。 その生滅さえも滅し終えて それらが鎮まることが安らぎである。 と言う意味です。 で、これが「いろはにほへと」と何の関係があるのか・・と思われるでしょうねぇ。 でも、切っても切れない深〜い関係があるのです。(笑) では いろはにほへとちりぬるを わかよたれそつねならむ うゑのよこやまけふこえて あさきゆめみしゑいもせず
先程もいいましたようにこれは「いろは歌」です。 が、これは先ほどの「諸行無常・・・・」を和訳したものなのです。 つまり、 いろはにほへどちりぬるを(諸行無常) わかよたれそつねならむ(是生滅法) うゑのよこやまけふこえて(生滅滅已) あさきゆめみしゑいもせず(寂滅爲樂) となるわけです。 「目の前にあるものは幻みたいなもので、かりそめの姿でしか存在しない」と言うのが、俺の言う「現実だと思っている現世は、脳が再構築した仮想の世界でしかない」と言うことであり、「目の前のことにこだわらず、欲を捨てれば浮かぶ瀬もある」が「右が左か戻るか止まるかの選択をしなければならない状況に遭遇したら、利害得失で物事を判断するのではなく、私利私欲を捨ててかかれば本質が見えてくる」と言っていることと同じなのです。 と言うことで、皆さん。 過去に対する悔恨や未来に対する不安が持ち上がったり、選択に迷った時は、「いろは歌」を唱えてみたらどうでしょう。 「今を生き切る」という、今なすべきことに立ち止まれるかもしれません。 いかがでしょうか?・・・(笑)
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17:32, Monday, Mar 04, 2024 ¦ 固定リンク
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