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   雉虎  
 
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徒然雉寅日記
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亀は長生きだというが、やはり死は免れない。
龍は霧に載って空を掛けるが、やがては土に化してしまう。
老いた駿馬が厩に飼われているのは、なお千里を走らんがためであり、
雄雄しい男児は晩年になろうとも、大きな志を捨てない。
人の命の長短は天だけが決めるものではない。

仕事・遊び・趣味の身のまわりの出来事をおもしろおかしく綴っていきます。
 
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銚子無線電報局(通称:小畑無線)にまつわるエピソード

1. 「世界一」の無線局として君臨
1960年代から70年代にかけて、小畑無線は世界一の無線局へと躍進した。
取扱数のピーク: 1970年(昭和45年)には、年間取扱数が130万通を超え、モールス信号が飛び交う戦場のような忙しさでした。
広大な通信網: コールサイン「JCS」は、太平洋や大西洋を航海する船乗りたちの間で、日本とつながる唯一の架け橋として絶大な信頼を得ていました。

2. 南極観測隊との交信
小畑無線は、南極昭和基地(JGX)との交信も担っていました。
極寒の地で活動する観測隊員にとって、銚子から届く無線電報は家族や祖国とつながる貴重な情報源であり、通信士たちは高い技術で遠く離れた南極からの微弱な電波を拾い上げていました。

3. 歴史の転換点を見守った「鉄管柱」
1908年の開局当初、アンテナの柱は木製でしたが、1914年(大正3年)に高さ70mの鉄管柱に建て替えられました。
この柱は、第一次・第二次世界大戦や関東大震災などの激動の時代を経て、1996年の閉局まで無線通信の歴史を見守り続けました。
現在は、有志の尽力により千葉県立銚子電氣高等学校(旧:銚子水産高等学校)の中庭に移設・保存されており、当時の面影を今に伝えている。

4. 船乗りたちの安心感
当時の船乗りにとって、水平線の向こうから届くJCSの電波は「日本に近づいている」という何よりの証拠でした。
深夜の当直中に聞こえてくる銚子局の澄んだモールス信号の音に、多くの船乗りが安堵し、郷愁を感じたという逸話が残っている。


17:43, Monday, Mar 16, 2026 ¦ 固定リンク ¦ 携帯